タイタンを遠くはなれて
僕は今32歳で、アメリカのサンフランシスコで生活しています。古いハードディスクの整理をしている際、偶然10年以上前に書いたブログを発見しました。1995年から1996年にかけて書かれたものです。その頃は、まだブログも一般的ではなく、僕も自分で作成したホームページのいちコーナーとしてブログを書いていました。今読み返すと、恥ずかしくなりそうな内容の物も多いのですが、そのうちのいくつかはとても良く書けていて、なおかつ今の僕ではもう書けない書き方で書いてあるので、新しくブログを作り直して公表してみようと思いました。僕にとってみれば、「思えば遠くへきたものだなあ」という部分と「今も昔もあまり変わってないな」という部分が複雑に混在していて興味深いのですが、それはあくまで’僕にとっては’の部分です。これらの文章は、10年後の現在において、いったいどのように受け取られるのでしょう。
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ぐるぐる冒険記のモットー
日本の多くのブログは、大量生産大量消費型メディアで、基本的に発表された文章はその週ぐらいにしか読まれません。「ぐるぐる冒険記」はこの流れには逆らって、ここで発表された文章は五年後に読んでも読む価値があるものにしていきたいと考えています。そのため、出来るだけ時事問題等は扱わず、日常のなかに潜むより普遍的な意味に注目して、描き出していきたいと思います。文章の形態としては、エッセイと短編小説の中間ぐらいに位置するものを目指します。
ただ、5年後にも価値が減らない文章を実際に書くのは、とても難しいことです。それには至らないエントリーもたくさん出てくるとは思いますが、それを常に目標にして文章を書いていこうと思います。
フラット化した社会からの手紙
妹A.へ
日本語が使えるパソコンの調子があまり良くない。このパソコンの機嫌の良い時にしか日本語で文章が書けない。
ただ、僕自身の意識も、ずっと先に進んでいて。もうしばらくしたら、この橋を焼き落として、日本語で文章は書かないことにしてしまうだろう。
まだ、日本語が使えるうちに、伝えられることは伝えてみようと思う。まだ、橋が使える内に、送れる物資は送ってしまおうと思う。
これは、僕の信念の部分なのだけど、アメリカが日本より優れている訳でも、日本がアメリカより優れている訳でもないと考えている。もちろん、アメリカの方が良い面と、日本の方が良い面はあるが、文化はどちらに対しても等価だ。
ただ、サンフランシスコは本当に特殊な場所で、フラット化した後に来る社会の壮大な実験場のような場所だ。だから、今僕がここで経験していることは、10年後、20年後に日本にいる人達の多くが経験することなのだ。あなたは、これからやってくる大きな変化を無視しては生きられない。もちろん、未来の事など誰にも分からないのだが、この実験場で繰り広げられた結果が、世界中に広まってゆくだろうということは、過去の歴史を振り返って推察できる。フラット化した後の世界で、先端を走り続けている人達には以下のような類似性があるんだ。
1) ほぼ全ての人がマルチリンガル(複数の言語を操る)である。
2) ほぼ全ての人が外国で暮らした経験があり、多くの場合外国で教育を受けた経験がある。
3) 人種に対する差別、性別に対する差別、同性愛に対する差別、国籍に対する差別等には、断固として戦っていく意志をもっている。
4) パブリシティに対する高い意識があり、常に社会をより良くするためにはどうすればよいかを基礎に決断をしている(FairnessとJusticeはこの国の根本を支える原理だ)。
もちろん、あなたは今の日本社会の中で生きて、子供を育てていかないといけない。現在の日本社会に適応しなければ、その子を守っていけない。それを分かった上で、一言だけ助言をするならば、今の日本社会に過剰適応してはいけない。その習慣に従うときでも、心の底では「この習慣のこの部分はおかしい」という直感を濁らせてはいけない。合理的でない習慣は、今後20年ぐらいの大きな変化の中で淘汰されてゆくからだ。過剰適応してしまうと、変化を乗り切れなくなる。
もちろん、あなたはもう大人なのだし。本当は、僕があなたに助言出来る事は殆ど無いのだけど。これは、なんというか老婆心みたいなもの。上手く伝わればいいのだけど。この橋が焼け落ちる前に、この物資がちゃんと届けばよいのだけど。
兄F.より
大きな人々
恐ろしい事に、この街では、少なくとも僕が一晩ですれ違った全ての人が肥満体型をしていた。おじさんも、おばさんも、若いお姉さんもだ。
これは、ハードコアな部分のアメリカが抱える病理の一つだと思う。確かにこの国では食料が安いし、それにレストランで出される食べ物の量が尋常ではない。サンフランシスコの人達のようによほど意識的でないかぎり(普通に生きていると)、人はすぐにトド体型になってしまうのだ。
人生の大きな転機。
ランディさんは、すごい人だ。まるで予言者だ。全くそのまま僕に当てはまっている。
4年ほど前に下した大きな決断のために、僕はかなり激しい戦闘に巻き込まれました。その戦闘で舞い上がった爆煙のために、今は殆ど視界がきかないのですが。もう少しして、視界が回復してきたらここで起こったことをエッセイにして書いてみるつもりです。戦況としてはおそらく僕の側の勝利なのですが、まだ局地戦的に戦闘はつづいているために、しばらくは戦闘に集中します。おそらく、エッセイとして書き始められるのは来年になって、僕が32歳になった後の事だと思います。
書くべき、二編のエッセイがあり、どう書いたらよいのかもだいたい分かっていて。書きたい気持ちは高まりつつあるのだけど、やはりこれは正しい時期に書かれるべきものです。しばらくは、英語の世界に潜水して、正しい時期をまちます。
僕がまた潜水している間に、もし興味があったらノアに日本語で書き残したらくがきを、ご覧になって下さい(http://falling4falling.nowa.jp)。
予告
基本的な考え方として、本当に分からない事は、分からないままにしておくというのが僕の方針なので、しばらくこのままにして考えます。
それと同時に今年から来年にかけて、日本語であと二編のエッセイと一編の書評を「ぐるぐる冒険記」上で発表します。お楽しみに。その後のことは、とりあえずこれらの書くべきものを書き終えた段階で決めるつもりです。
旅の終わりの、最も大きな変化。
最近、僕の身に起きた最も大きな変化は、使用言語が日本語から英語に変わったことだと思う。傍目には、これは楽しそうで有益な事に映るかもしれないが、僕自身にとっては地獄の苦しみ以外の何でもない。気分は常に鬱になるし、圧倒的な暴力の瀬戸際に立ち続けて、それでいてこちら側になんとか紙一重で留まるような日々だ。この地獄さをどうやって楽しもうかというのが、今の本当のテーマだ。
そしてつらつら考えるに、この地獄さはマラソンを走ることに似ていると気が付いた。僕にとって、マラソンは苦しい以外の何物でもないのだが、確かに絶対にそこでしか得られない物が含まれている。この僕の挑戦も、決して他の方法では辿り着けない場所に、僕を導いてくれると堅く信じて歩くことにする。
しばらくの間、日本語は完全に断ち切って、英語のみの世界で暮らす決意をしました。そのため、このブログの更新はしばらく難しいです。最近実名で英語のブログを書き始めたので、僕を直接ご存知の方は、そちらを読んでください。
潜水
ただ、僕はもう日本のテレビを見られなくなってしまった。生理的に体が受け付けない。日本のニュースも見ていてつらいし(どうしてNHKはメジャーリーグの日本人野球選手の話ばかりスポーツコーナーでするのだろう?)、ドラマは完全に無理だ。日本のテレビが押しつけてくる世界観から、あまりにも僕個人が乖離してしまったせいかもしれない。でも、個人的に日本の番組で見たいのは有野課長のゲームセンターCXぐらいだから、それは良いことにする。
ブログのちから。
少し前の話なのだが、偶然、梅田望夫さんの「直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。」という、ブログエントリーに遭遇した。
このエントリーには、僕が英語を基礎原則とした生活の中で無意識に体で感じていたことが、そのまま言語化されていて、とても深く感銘を受けた。
このブログを読んだことをきっかけに、梅田さんの著書「ウェブ進化論」「ウェブ人間論」「フューチャリスト宣言」を買い求めて読んだ。とくに、「ウェブ進化論」はとても面白かった。ブログをきっかけに本を読んで、その本がとても面白いというのは、新しい時代の本との出会い方だなと感心してしまった。
「ウェブ進化論」全体を貫く、オプティミズムには、学ぶべき所が多い。僕が今のアメリカ社会(そして来るべき日本の未来社会)の中で生きのびるには必要な考え方だと思う。
Grand Teton
カラマーゾフな日々
高校生の頃から、何度か「カラマーゾフの兄弟」は読み返してきたが、この小説には無駄な箇所は一つもないのと同時に、如何せん天国的に冗長な読み物であるために、精神がある種のすり減り方をしているときにしか読み返せない。
数ヶ月前まで、しばらく僕にとってのカラマーゾフな日々が続いていた。カラマーゾフな日々とは、つらい出来事が続き、神経の芯と言うべき部分が疲労していて、読み返した「カラマーゾフの兄弟」の一文一文が体に染みこむように理解できる精神状態にあったことだ。疲弊し弱り切っていた僕は、毎晩本を読み返しながら、どうしてこのろくでもない兄弟のろくでもない営みを丹念に描いた物語が、全体としてはこんなに美しいのだろうと考えながら、自分自身のバランスをなんとか保っていた。
そして、8月の始め、「カラマーゾフの兄弟」は最終局面を迎え、誤審に終わるミーチャの裁判が、検察側の弁論によりその最高潮な局面に達していたころ、僕は三夜連続して、全く同じ夢にうなされて目が覚めることになった。その夢というのが、汚い話なのだが、見渡す限り一面の大便の中で溺れる夢だった。カラマーゾフの兄弟とその汚い夢との間にどういう因果関係があるのか、その時は分からなかった。
ただ、個人的に占いとかをあまり信じない僕も、3日間全く同じ夢でうなされて目覚めると、さすがにその夢が示唆する深層心理が気になった。そんなとても汚い夢を見て、何かとても悪い暗示があるのでは無いかと、心配になってしまったのだ。そこで、夢占いや、夢と深層心理の関係を解説してある、ウェブサイトを丹念に調べてまわった。すると、すべての占いでその汚い夢は幸運をもたらすであろうとあった。
驚いたことに、実際にその夢の前後から事態が上手く行き始めた。舞台が明転するかのように、それまでの苦しみがウソのようにスムーズにいろんな事が進行し始めた。今もまだ、その幸運の力は僕に影響を与え、僕の周りではカチッと音がするように歯車が絡み合いながら物事が進行している。あなどりがたい、夢の力だ。
ただ、冷静になって考えてみると、カラマーゾフの兄弟を読んでいた最中は、僕は鬱な精神状態にあったのかもしれない。そういうときは、何をやっても楽しくはなく、やることなすこと裏目に出てしまう。たぶん、その夢を見た前後に精神の健康が回復してきたのではないかと思う。「カラマーゾフの兄弟」を読み直したことが精神の快復を助けたのかどうかは分からないが、もしそうであるならばドフトエフスキーに感謝しなけらばならない。
Yellowstone National Park
The Intelligence for Your Life
この前もPearl Jamのライブの帰り道、車で僕はこのコーナーを聞いていた(Eddyは相変わらずかっこよかったけど、その事はまた別の機会に)。その夜Johnは、より賢く食事をとるにはどうしたらいいのかと言うことをしゃべっていた。彼によると、二つの事を実践すると良いらしい。
1)食事をするときには、より長い時間をかけて、より少ない量を食べるように心がけること。
2)あなたの曾祖母が、認識できないような食べ物は口にしないこと。
1)を聞いたときは、なるほどねっと思ったけど、2)を聞いたときには、思わず飲みかけていたオルチャタを噴いてしまいそうになった。Johnの言っていることは分かる。遺伝型の変化(もしくは進化)は、現代の環境の変化よりも、より緩やかに起こるので、できるだけ、食生活のような遺伝型に依存している習慣は、たった数世代で変えたりしない方が賢明だと言うことだ。簡単に言えば、肉とジャガイモばかり食べてきた人種が、魚と米だけの食事をとり続けると栄養が足りなくなるし、逆に魚と野菜と米ばかり食べてきた人種がいきなり血の滴る肉とポテトばかりにしてしまっては、まず間違いなく生活習慣病になってしまうと言うことだ。
でも、現実の問題として、曾祖母が分からない物を食べてはいけないのだったら、僕はこの街では飢え死にしてしまう。
その土曜日も、朝は、ベーグルをトーストして、クリームチーズをはさんで食べ、簡易エスプレッソ・ポットでいれたエスプレッソにアイスミルク加えた自家製ラテを飲んで、ビーチに走りに行った後は、ペンネを茹でて、作り置きして凍らせていたトマトソースをかけて、アボガドサラダと一緒に昼食として食べて、夜にはライブの帰りに一緒にライブに行った友達と、ミッションで一番美味しい(とアルゼンチン人の知り合いが言う)メキシカンレストランにいって、タコスとケサディアをほおばったのだった。
僕は車のハンドルを握りながら、今日一日の僕の食事の何一つを、僕の曾祖母は認識できないだろうな、と考えてしまった。おそらく、マンモスを追い続けていた氷河期には、何十世代にも渡って、人は全く同じ物を食べ続けていたのだろう。たった3世代で、こんなにも食生活が激変してしまうのは、やはり気付かぬ所で体に負担をかけるのだろうとは思う。
ヨセミテ
Rapid
エイゴのくるしみ。
その瞬間に僕は、英語を基礎原則とした日々の生活のなかで感じていたことを、ふと言葉にした。「これが、もう一つの戦いだ。日常生活のなかで一度でも出会った単語は、すべて覚えて生きのびる」
戦国時代の武士たちも、壮絶に生きたのだと思うが、外国で外国語を使って生きることも、やはりそれなりには哀しいものなのだ。
カリフォルニア ワイン
でも、サンフランシスコに来て以来、ナパやソノマのカリフォルニアワインをよく飲むようになった。飲み慣れてみると、これが実に美味しいし、奥深い。最近のお気に入りは、SEGHESIOってワインだ。値段の割に、シャキッと背筋の伸びたワインだ。
熱量
どうやって、自分自身の熱量やエネルギーを高く保ち続ければ良いのだろうと最近ずっと考えている。とりあえずは、やるべき事をなるべく丁寧に。枝葉の先の一見下らないように見えることも、なるべく手を抜かずに誠実にこなすように心がけている。そういう些細な事が、実は、熱量を保つために大切なような気がするから。
サンフランシスコは雨ばかり。
ぐるぐるな日
でも何かが僕の心に強い印象を残す時って、必ずある種の痛みを伴うものだって事を、最近僕は学び始めている。もし僕が、10歳若かったら、昨夜受けた衝撃から立ち直れていないだろうなと思うけど。今の僕は素直に、これも日本で暮らしていたら味わえなかった経験だなと思える。
スパークリング・ダイエット
泣かぬなら、泣かして見せよう・・・
もちろん、フィクションなんて、うそっぱちだよって見下しているわけではない。誰かが言っていたように、事実は真実ではないかもしれないし、真実は事実でないかもしれない訳で、フィクションの中にしかない真実を僕は信じている。ただ、感情移入の仕方が、事実とフィクションで少しだけ違うという話だ(僕にとっては)。
でも映画で、もう少しで泣きそうになったのは「火垂るの墓」だった。これは、やばかった、あと一歩誤ったら泣いていたところだった。
小説でも、「アルジャーノに花束を」の最後の場面で、ぎりぎりのところまで来た。僕は、涙腺との必死の格闘のすえ、なんとかそれを押さえ込む事が出来た。
ただ、正直に言うと、一度だけ本を読んで号泣したことがある。中学生の時だ。それは、「怒りの葡萄」でも、「グレート・ギャツビー」でもなく、僕の人生で絶対に二度と読み返すことがないライト・ノベルの「銀河英雄伝説」だった。キルヒアイスが死んでしまったとき、あまりの悲しさにボロボロと涙がこぼれてしまった。「恥が多いほど人生は長くなる」と、中島らも氏は言っていたが、まさにその通りである。
海鮮中華
日本にいるときには、せいぜい3歳年上から3歳年下ぐらいの人達としか、”友達”として付き合わなかったけど、アメリカにいると、60歳の人も友達だし、15歳の男の子だって友達だ。
昨日、ある人に招待されて、サンセットにある”South Sea Seafood Village”っていう海鮮中華料理屋に行った。ここは、すごく美味しいのだけど、前回行ったときに、たまたま僕一人食中毒になってひどく苦しんだので、しばらく避けていたお店だ。でも、招待してくださった方とも、久しくお会いしていなかったので、行くしかないなと思って行った。大きなテーブルに、主にアジア系のアメリカ人が10人ぐらい座っていて、知らない人ばかりだったけど、僕は最近こういうシチュエーションに慣れつつあって、特に違和感もなく周りの人と楽しく会食していた。ただ、右隣に座っていた若い女の人は、なんだか英語がぎこちなくて、何なのこの人?っておもっていたら、実は日本人の女の子だった。招待してくれた人の娘の所にホームステイしているらしい。それから、日本語に切り替えてしばらく話してみると、大学2年生の19歳だという。
アメリカ人ばかりのテーブルで、日本語を使って会話をするのは、非常に奇妙な感覚で。なぜなら、日本語に切り替えたとたん、他の人達が圧倒的な他者になってしまうし、見慣れたレストランの風景がまるで外国の物のように映り始めるからだ。なんだか、空港にあるトラベーター(動く床)から降りた瞬間の感覚に近い。風景は同じなのだけど、速度ががくっと変わってしまう。
でも、日本にいると、10歳も年下の人と、全く対等な立場で会話をする機会ってあんまり巡ってこないだろうなと思った。僕としては、料理はとても美味しかったし、会話も楽しんだし、食中毒にもならなかったし、とても楽しい夜だった。
Teriyaki Soba Noodle
Valentine's day
隣の席のアメリカ人の男の子に、「日本のバレンタインデーでは、女の人が男にチョコレートをくれるんだよ。」って話したら、俺はいま間違った国にいるよ。どうして、俺達はプレゼント贈らなくちゃいけないんだよ。っとブーブー文句を言っていたが、彼もちゃんと花を買って帰ったみたいだ。
Lake Tahoe
Munich
行ってみると、これがすごい映画だった。1972年のミュンヘンオリンピックの際に、武装したパレスチナゲリラによってイスラエル選手団が襲撃され、その結果人質となったイスラエル人選手全員が殺害された事件と、その事件に対するイスラエル側のパレスチナ人暗殺による報復という、歴史的事実を元に映画は作製されている。
イスラエル人である主人公は、ミュンヘンでの惨劇の報復のために、数々の暗殺を遂行していくのだが。その闘争は、徐々に彼と彼の仲間達の精神を蝕んでいく。血は、血をもってあがなわれるが。復讐は新たな復讐の芽しか生まない。
多くのターゲットと、その周りの人達を殺害し、その過程で同時に自分たちの仲間も殺された後、主人公が「俺達のやっていることが何であれ、こんなものの果てに、平和などあるはずがない・・・。」と苦しむ姿が、とてもリアルで、痛かった。
謹賀新年
Cross country ski
自然
Thanksgiving
San Francisco
Halloween
All in all is all we all are
でも最近、職場の目の前に新しいスポーツジムがオープンして以来、ジョギングマシーンの楽しさに目覚めてしまった。ニルバーナの”Son of a gun”という曲を、iPodから大音響で聞きながら走ると、いつまででも走り続けられる事が分かったからだ。規則的に反復される単調なリズムと、重いドラムのビートの上に、カートの甘い歌声が乗っている。僕は、走るペースと呼吸のリズムを徐々にその曲に合わせていく。吸って吸って、吐いて吐く呼吸。最初はひどく苦しく飽きてしまいそうになるが、数十分も耐えて曲のビートと体のリズムが一体化する頃には、自分がジムで走っているのだという事さえ忘れてしまう、気が付けば意識は肉体を離れる。遠くで、カートは” The sun shines in the bedroom”と歌い続けているが、僕の意識はより深い層に入り込んでいて、過去や未来を辿って思索を続けている。それはプールですごく長い時間泳ぎ続けた後にくる感覚にも似ていて。
昔々、僕にはしばらく誰とも口をきかずに過ごしていた時期があった。その時僕は、個人的なトラブルを抱え込んでいて、誰とも会わずに黙々と暮らしていた。数ヶ月の間だったと思うが、僕は、朝きちんと一人で起きて、プールに行き2時間近くみっちりと泳ぎ、きちんと料理をして食べ、夕方には10キロ近くジョギングをする生活を続けた。出来るだけ、部屋をきれいにするよう心がけ、その圧倒的な逆境のなかでも、志気だけは高く保つように心がけた。激しい運動は僕の肉を削ぎ、激しい孤独感は僕の心を削いだ。その時期の僕は、たまに人と会って話をする事があっても、相手との間に透明な膜が掛かっていて、どうしても上手くコミュニケーションをすることが出来なかった。でも、周りの人達は誰一人僕がそのような極限的な状態に追いつめられているということに気が付かないみたいだった。閉じこもった殻の外側で、機械的に話をしたり、技巧的に笑ったりしている僕も、表層的にはそんなに違和感はなかったのだろう。その時の事を思い出すと、いつも僕は泳いでいたプールの事を思う。プールの底の青いタイルに映った僕のシルエットの事を。泳ぐ事それ自体はすばらしい。ただ泳ぎ続けたことは、何一つ僕のつらさを取り除いてはくれなかった。たっぷりとかけることができた時間だけが僕の味方であった。それでも、午前中の人のいないプールで、静かに一人でクロールを続けていると、ふと自分が泳いでいる事を忘れて、空中に浮かんですっと移動を続けているような錯覚に落ちたし。僕と、青いタイルの上の僕の影だけがいる非日常な空間で、お互いに向かい合っているような時間が、絶望的な現実と闘い続けていた僕を支えていたのだろうとは思う。
ジムで1時間も走り続けると、僕の体からは玉のような汗が噴き出し、ジョギングマシーンの上にぼたぼたと落ちる。あまりの苦しみに、口からはうめきが漏れる。苦しすぎて、カートに合わせて歌ったりもする。前を歩く、黒人の女の人がじろっと僕を見返す。なんで、こんな事をしているのだろうと思う。それでも、走り終えて、息を整えながら、目の前の巨大なガラスの向こうに映るサンフランシスコのダウンタウンの夜景を見ると。霧が背の高いビルの上だけを覆っていて、その隙間からうっすらと月が見えて。目がくらくらするような状態で見るそんな一瞬の風景が、とても心に染みて、また走ろうと思ったりもする。
僕は上原隆の書いた「友がみな我より偉く見える日は」という本が好きだ。この本には、徹底的に自尊心を砕かれるような現実に直面したとき、人はどうやってその絶望から自分を立て直すのかという事が書いてある。結局、僕にとっては、激しい運動も、痛烈な孤独感も、絶望から立ち直る手段にはならなかった。その時僕を襲った絶望は、そのままの形でいまでも僕の中にある。でも、いつの日か、それを描き出してみたいと思う。カートが歌う歌のように、”All in all is all we all are(この世界で、人は悲しい思いもするけど、それら全てを含めてこの世界を肯定するしかないのだ)”という境地に達する事が出来るように
偶然の音楽
実は同じ事が昨年のR.E.M.のコンサートの時にも起こっていて。僕はR.E.M.のコンサート中ずっと"What's the Frequencey, Kenneth?"という古い曲が聞きたいと思い続けていたら、彼等もコンサートの最後にこの曲を演奏してくれたのだ。もう二度も続けてこんな偶然が重なると、何かそこに意味があるのではないかと考え込んでしまった。
「あかね空」
僕は昔からそうやって本に出会ってきたのだ。上原隆の本にも、池澤夏樹の本にもそのようにして出会った。本というのは不思議な物で、きちんと時間さえかければ渡るべき人の手に渡るように出来ているのだ。
「あかね空」も読むからには、今の時代に“時代小説”なんてと斜に構えて読むのではなくて、公平な気持ちで読んでみようと思った。どんなに陳腐に響こうとも、何かを学び取るために必要なのは、愛情と理解のある姿勢なのだ。
結果的には、この本は圧倒的なエンターテイメントであった。昼下がりのビーチに寝ころんで読み始めたのだが、余りに貪るように読んだために、読み終わって、はたと気付いた時にはすでに日が陰りはじめていた。そして、若干風の吹きはじめた夕暮れのビーチで、少し波の高まった海を見ながら僕はとても暖かい気持ちに包まれていた。本の中で描かれた深い家族愛に打たれたのだ。
この話は、京の腕の良い豆腐職人である永吉が、一人で江戸に移り住み、裏町で豆腐屋を始めて所帯を持ち、やがて息子達の代になる頃には表通りに店を構えるようになるという親子二代にわたる物語である。その長い時間のなかで、永吉の家族達の思いは、何度も行き違い、その結果傷つけ合い、バラバラになりそうになるが、それでも最後は団結してより大きな困難を乗り越えてゆく。それぞれの家族の思いを、それぞれの視点から交互に辿って描き出し、それぞれのすれ違いが、もう後戻りできない臨界点に達しそうになる最後の瞬間に、それを一気に融和させえる作者の力がすばらしいし。その融和の奇跡の中に読者は現代社会が失いつつあるノスタルジックな家族愛を見るのだと思う。
ただ、読み終わったときに僕を包んだ暖かい波が去り、太陽の沈み行く海の前で冷静になって考えた時、僕は、これは時代小説という舞台の上に乗せないと機能しえない物語だと痛感する事になった。江戸時代の長屋におそらくあったであろう“下町の人情”と、“圧倒的な社会的抑圧”という、仮想的な装置の上でないと、おそらくこの物語は力を持てないだろうと。
それは、同じ家族愛というテーマで、現代社会を舞台に村上龍が書いた「最後の家族」では(その中でも家族は同じようにすれ違い、傷つけ合ってしまうのだが)、家族のメンバーそれぞれが自立し、最終的に家族がバラバラになってしまうことで、真に救われるという対極的な結末を迎える事からも分かる。この結末には、同時代を生きる人間としての非常に強い説得力を持つメッセージがあったし、逆を言えば現代社会を舞台にした「最後の家族」の中で、家族が再び団結してしまっていたら、僕は生理的にそれを受け入れられなかったと思う。
現代を生きる作家が、同じ時代を生きる読者に対して、読者が経験しえない古い時代を舞台に、しかもそこにあったであろう社会的装置を前提にして物語を物語る事が、公平な手段なのだろうかという疑問がしこりのように僕の中に残った。もちろん、「あかね空」のように、その舞台でないと語れない物語がある事は確かだが、おそらくそこが山本一力という作家の評価を分かつ部分であろうとも思う。
Sequoia King Canyon National Park
スタイル

フランクフルト発サンフランシスコ行きの機内は、白人の人ばかりで。僕以外に誰もアジア人がいない飛行機に乗るというのは、幾分か奇妙なものだった。
同じ白人でも、ヨーロッパ人はおばさんでも痩せていてスタイルがよいのに対し、アメリカ人は若いお姉さんでも太っているので、一目で区別が付いてしまう。こんな所にも、アメリカという病の根の深さがかいま見られて。
今回の旅も、いろいろ思うことがあった。それは、また別の機会に書くことにする。とりあえずは、涼しいサンフランシスコに帰ってきて嬉しい。
Pull Out
かなりびっくりしたけど、逃げられるものではないので、言われたとおりに路肩に車を停めた。あまり、ここでジタバタすると、銃を取り出しているように思われてしまうので、もうあきらめてハンドルの上に両手を置いたまま、待つことにした。しばらくすると、ポリスの人が降りてきて、運転席の窓をコンコンと叩いて、窓を開けるように言った。運転免許書を見せると、ポリスはまた自分のパトカーに戻っていってしまった。たぶん、パトカーのコンピュータで僕の犯罪歴とかをしらべているのだろう。僕としては、一体僕がどういう間違いを犯したから、捕まったのか知りたかったんだけど、無闇にしゃべって不利になるのもいやだったので、聞かないでおいた。
ポリスは戻ってくるなり、"What's going on here? (いったいどうなってんだい?)"と聞いた。それはこっちのセリフだよって思ったけど、喉まででた言葉を飲み込んで分からないとだけ答えた。彼は、僕がどうしてすぐに車を停めなかったのかと詰め寄ってきたが、僕は本当に僕が止められているのだと気が付かなかったからだと説明した。その後も押したり引いたりの、問答があったのだが、彼の話を総合すると、どうやら別のパトカーが逆車線をものすごいスピードで競いあって走っている2台の黒い車を見かけたらしいのだ。そして、たまたまこちらの車線を走っていた僕の車が黒かったという理由だけで、僕は止められてしまったみたいだった。
僕はついさっきまですぐそこにある友人の家にいたし、そのことは友人が証言できると説明したら、ポリスはもう行って良いよと言って事なきを得たのだが、かなりあせったし、たくさん冷や汗をかいてしまった。
Yosemite
Tommaso's
エッグサンドイッチ
一緒にランチを食べていた、アメリカ人の若い男にその話をすると、"Wow, they did it! cool! (おお、奴らホントにそんな事やったの、イカすぜ!)"とか言っていて。彼の反応の中にも、アメリカ社会を覆う暴力のその根の深さを見た気がして。そんな理不尽な暴力に簡単に屈するわけにはいかないので、エッグサンドイッチとカフェラテは残さずに食べた。
「半島を出よ」

村上龍氏の書いた、「半島を出よ」という本を読みふけった。この話は、膨大な情報を卓越した想像力でまとめた群像劇であり、この文章を小説とよんでいいのかという事はよくわからない。個人的には読んでいてとても面白かったのだが、同時にどうもゴツゴツとした違和感を感じもした。それはおそらく、この圧倒的な量の情報を収集する過程で村上龍氏以外の多くのスタッフが加わっていたせいなのではないかと思う。もちろん、村上龍氏はプロの小説家として、他のスタッフが作製した素材の文章の角を削り、彼自身の文脈の中へと正しく組み入れているのだが。それでも他の人を通して作製された素材は、全体としての枠組みとはちょっと違った方向にそれぞれ自己主張をしているのだ。
ただ、この物語のクライマックスで、”天使の羽”を克明に描写してあるシーンがあって。この絵がもう、息を呑むばかりに美しくて。この美しさに出会うために、僕は電話帳二冊分もの本を夜通し読み続けなければならなかったのかと思うと、悔しくもあり、嬉しくもありな、ちょっと不思議な気持ちがした。












