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2008.02.18

フラット化した社会からの手紙

この間、日本で暮らす妹に書いた手紙を転載します。

妹A.へ

 日本語が使えるパソコンの調子があまり良くない。このパソコンの機嫌の良い時にしか日本語で文章が書けない。

 ただ、僕自身の意識も、ずっと先に進んでいて。もうしばらくしたら、この橋を焼き落として、日本語で文章は書かないことにしてしまうだろう。

 まだ、日本語が使えるうちに、伝えられることは伝えてみようと思う。まだ、橋が使える内に、送れる物資は送ってしまおうと思う。

 これは、僕の信念の部分なのだけど、アメリカが日本より優れている訳でも、日本がアメリカより優れている訳でもないと考えている。もちろん、アメリカの方が良い面と、日本の方が良い面はあるが、文化はどちらに対しても等価だ。

 ただ、サンフランシスコは本当に特殊な場所で、フラット化した後に来る社会の壮大な実験場のような場所だ。だから、今僕がここで経験していることは、10年後、20年後に日本にいる人達の多くが経験することなのだ。あなたは、これからやってくる大きな変化を無視しては生きられない。もちろん、未来の事など誰にも分からないのだが、この実験場で繰り広げられた結果が、世界中に広まってゆくだろうということは、過去の歴史を振り返って推察できる。フラット化した後の世界で、先端を走り続けている人達には以下のような類似性があるんだ。

1) ほぼ全ての人がマルチリンガル(複数の言語を操る)である。
2) ほぼ全ての人が外国で暮らした経験があり、多くの場合外国で教育を受けた経験がある。
3) 人種に対する差別、性別に対する差別、同性愛に対する差別、国籍に対する差別等には、断固として戦っていく意志をもっている。
4) パブリシティに対する高い意識があり、常に社会をより良くするためにはどうすればよいかを基礎に決断をしている(FairnessとJusticeはこの国の根本を支える原理だ)。

 もちろん、あなたは今の日本社会の中で生きて、子供を育てていかないといけない。現在の日本社会に適応しなければ、その子を守っていけない。それを分かった上で、一言だけ助言をするならば、今の日本社会に過剰適応してはいけない。その習慣に従うときでも、心の底では「この習慣のこの部分はおかしい」という直感を濁らせてはいけない。合理的でない習慣は、今後20年ぐらいの大きな変化の中で淘汰されてゆくからだ。過剰適応してしまうと、変化を乗り切れなくなる。

 もちろん、あなたはもう大人なのだし。本当は、僕があなたに助言出来る事は殆ど無いのだけど。これは、なんというか老婆心みたいなもの。上手く伝わればいいのだけど。この橋が焼け落ちる前に、この物資がちゃんと届けばよいのだけど。 

兄F.より 


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2008.01.03

大きな人々

 昨日、ベーカーズフィールドというカリフォルニアの内陸部にある街に泊まったのだけど。もうここはネバダとの州境に近いので、カリフォルニアというよりは、よりハードコアなアメリカに近い。

 恐ろしい事に、この街では、少なくとも僕が一晩ですれ違った全ての人が肥満体型をしていた。おじさんも、おばさんも、若いお姉さんもだ。

 これは、ハードコアな部分のアメリカが抱える病理の一つだと思う。確かにこの国では食料が安いし、それにレストランで出される食べ物の量が尋常ではない。サンフランシスコの人達のようによほど意識的でないかぎり(普通に生きていると)、人はすぐにトド体型になってしまうのだ。 

2007.07.07

ブログのちから。

 
 少し前の話なのだが、偶然、梅田望夫さんの「直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。」という、ブログエントリーに遭遇した。

 このエントリーには、僕が英語を基礎原則とした生活の中で無意識に体で感じていたことが、そのまま言語化されていて、とても深く感銘を受けた。

 このブログを読んだことをきっかけに、梅田さんの著書「ウェブ進化論」「ウェブ人間論」「フューチャリスト宣言」を買い求めて読んだ。とくに、「ウェブ進化論」はとても面白かった。ブログをきっかけに本を読んで、その本がとても面白いというのは、新しい時代の本との出会い方だなと感心してしまった。

 「ウェブ進化論」全体を貫く、オプティミズムには、学ぶべき所が多い。僕が今のアメリカ社会(そして来るべき日本の未来社会)の中で生きのびるには必要な考え方だと思う。







2006.09.22

Grand Teton



イエローストーンからの帰り道に、Grand Tetonにも寄った。湖と山とのコントラストが美しかった。

2006.09.21

カラマーゾフな日々

 ドフトエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」という小説は、これまでに僕が読んだことのある小説の中では、もっともスケールの大きな小説であると思う。

 高校生の頃から、何度か「カラマーゾフの兄弟」は読み返してきたが、この小説には無駄な箇所は一つもないのと同時に、如何せん天国的に冗長な読み物であるために、精神がある種のすり減り方をしているときにしか読み返せない。

 数ヶ月前まで、しばらく僕にとってのカラマーゾフな日々が続いていた。カラマーゾフな日々とは、つらい出来事が続き、神経の芯と言うべき部分が疲労していて、読み返した「カラマーゾフの兄弟」の一文一文が体に染みこむように理解できる精神状態にあったことだ。疲弊し弱り切っていた僕は、毎晩本を読み返しながら、どうしてこのろくでもない兄弟のろくでもない営みを丹念に描いた物語が、全体としてはこんなに美しいのだろうと考えながら、自分自身のバランスをなんとか保っていた。

 そして、8月の始め、「カラマーゾフの兄弟」は最終局面を迎え、誤審に終わるミーチャの裁判が、検察側の弁論によりその最高潮な局面に達していたころ、僕は三夜連続して、全く同じ夢にうなされて目が覚めることになった。その夢というのが、汚い話なのだが、見渡す限り一面の大便の中で溺れる夢だった。カラマーゾフの兄弟とその汚い夢との間にどういう因果関係があるのか、その時は分からなかった。

 ただ、個人的に占いとかをあまり信じない僕も、3日間全く同じ夢でうなされて目覚めると、さすがにその夢が示唆する深層心理が気になった。そんなとても汚い夢を見て、何かとても悪い暗示があるのでは無いかと、心配になってしまったのだ。そこで、夢占いや、夢と深層心理の関係を解説してある、ウェブサイトを丹念に調べてまわった。すると、すべての占いでその汚い夢は幸運をもたらすであろうとあった。

 驚いたことに、実際にその夢の前後から事態が上手く行き始めた。舞台が明転するかのように、それまでの苦しみがウソのようにスムーズにいろんな事が進行し始めた。今もまだ、その幸運の力は僕に影響を与え、僕の周りではカチッと音がするように歯車が絡み合いながら物事が進行している。あなどりがたい、夢の力だ。

 ただ、冷静になって考えてみると、カラマーゾフの兄弟を読んでいた最中は、僕は鬱な精神状態にあったのかもしれない。そういうときは、何をやっても楽しくはなく、やることなすこと裏目に出てしまう。たぶん、その夢を見た前後に精神の健康が回復してきたのではないかと思う。「カラマーゾフの兄弟」を読み直したことが精神の快復を助けたのかどうかは分からないが、もしそうであるならばドフトエフスキーに感謝しなけらばならない。


2006.08.11

The Intelligence for Your Life

 最近、車を運転するときには、Star101.3というFMステーションを聴いている(オンラインでも聴けるので、興味があればおためしあれ)。運転に集中するときには、こういうライトな音楽がいい。僕はこのステーションの夜のJohn Tesh Radio Showって番組が好きで、そのなかでも、The Intelligence for Your Life というコーナーが特にお気に入りだ。

 この前もPearl Jamのライブの帰り道、車で僕はこのコーナーを聞いていた(Eddyは相変わらずかっこよかったけど、その事はまた別の機会に)。その夜Johnは、より賢く食事をとるにはどうしたらいいのかと言うことをしゃべっていた。彼によると、二つの事を実践すると良いらしい。

1)食事をするときには、より長い時間をかけて、より少ない量を食べるように心がけること。

2)あなたの曾祖母が、認識できないような食べ物は口にしないこと。

1)を聞いたときは、なるほどねっと思ったけど、2)を聞いたときには、思わず飲みかけていたオルチャタを噴いてしまいそうになった。Johnの言っていることは分かる。遺伝型の変化(もしくは進化)は、現代の環境の変化よりも、より緩やかに起こるので、できるだけ、食生活のような遺伝型に依存している習慣は、たった数世代で変えたりしない方が賢明だと言うことだ。簡単に言えば、肉とジャガイモばかり食べてきた人種が、魚と米だけの食事をとり続けると栄養が足りなくなるし、逆に魚と野菜と米ばかり食べてきた人種がいきなり血の滴る肉とポテトばかりにしてしまっては、まず間違いなく生活習慣病になってしまうと言うことだ。

でも、現実の問題として、曾祖母が分からない物を食べてはいけないのだったら、僕はこの街では飢え死にしてしまう。

 その土曜日も、朝は、ベーグルをトーストして、クリームチーズをはさんで食べ、簡易エスプレッソ・ポットでいれたエスプレッソにアイスミルク加えた自家製ラテを飲んで、ビーチに走りに行った後は、ペンネを茹でて、作り置きして凍らせていたトマトソースをかけて、アボガドサラダと一緒に昼食として食べて、夜にはライブの帰りに一緒にライブに行った友達と、ミッションで一番美味しい(とアルゼンチン人の知り合いが言う)メキシカンレストランにいって、タコスとケサディアをほおばったのだった。

 僕は車のハンドルを握りながら、今日一日の僕の食事の何一つを、僕の曾祖母は認識できないだろうな、と考えてしまった。おそらく、マンモスを追い続けていた氷河期には、何十世代にも渡って、人は全く同じ物を食べ続けていたのだろう。たった3世代で、こんなにも食生活が激変してしまうのは、やはり気付かぬ所で体に負担をかけるのだろうとは思う。



2006.08.03

ヨセミテ

夏になったので、ヨセミテに観光にいった。僕がミニバンを運転していった。わりと楽しかったけど、普段運転しない大きな車で、曲がりくねったヨセミテへの山道を運転するのは大変だった。

2006.08.01

Rapid

しばらく、とてもブログが書けない状態だった。いきなり、多くの負荷がかかって、回路が一杯一杯になってしまった。人生には、そういう時期があり、ラフティングで穏やかな流れのあとに、急流(rapid)が来るようなものだ。いきなり流れが速くなると、それに慣れるまでが大変だった。でも、マラソンとかと一緒で、一度この速度に乗ってしまえば、なんとか生きては行ける。人間は結局の所、いかなる環境に対しても自分自身を適応させてしまう物なのだ。

2006.05.06

カリフォルニア ワイン

 日本にいるときには、ワインなんてほとんど飲んだことがなかった。日本でお酒を飲む機会は、人と居酒屋に行くときぐらいだったし。居酒屋でワインっていうのは、なんだか変だ。

 でも、サンフランシスコに来て以来、ナパやソノマのカリフォルニアワインをよく飲むようになった。飲み慣れてみると、これが実に美味しいし、奥深い。最近のお気に入りは、SEGHESIOってワインだ。値段の割に、シャキッと背筋の伸びたワインだ。

2006.04.12

サンフランシスコは雨ばかり。

ここ一ヶ月ぐらい、サンフランシスコは毎日のように雨だ。毎年、春先には少し雨が降るんだけど、今年はどうしちゃったのってぐらい雨ばかりだ。知り合いのアメリカ人に、日本から吹いて来るジェット気流が蛇行しているから、こんなに雨ばかりになっちゃうんだ、日本のせいだぞ、って言われた。

2006.03.28

スパークリング・ダイエット

アメリカに来て以来、僕は太ってしまっていた。ハンバーガーなどのアメリカ食のせいだ。でも、いつも髪を切ってもらっている美容師の方に、とっておきのダイエット法を教えていただいたのだ。それは、夜、家に帰った後と、朝起きた後、スパークリング・ウォーターをたくさん飲むというダイエットだ。これがすごく効いた。半年で、アメリカに来て以来太っていた12kg分ぐらいを減量する事に成功した。でも、これで、やっと渡米した時の体重だっていうのが哀しい所だ。なんだか、“ふりだしに戻る”って感じだ。でも、スパークリング・ウォーター・ダイエットは効果抜群なので、是非お試しあれ。

2006.03.06

海鮮中華

 アメリカ社会には、良いところも悪いところもあるのだけど。友達づきあいをする相手の年齢をあまり気にしなくても良いっていうのは、僕にとっては良いことだと思う。

 日本にいるときには、せいぜい3歳年上から3歳年下ぐらいの人達としか、”友達”として付き合わなかったけど、アメリカにいると、60歳の人も友達だし、15歳の男の子だって友達だ。

 昨日、ある人に招待されて、サンセットにある”South Sea Seafood Village”っていう海鮮中華料理屋に行った。ここは、すごく美味しいのだけど、前回行ったときに、たまたま僕一人食中毒になってひどく苦しんだので、しばらく避けていたお店だ。でも、招待してくださった方とも、久しくお会いしていなかったので、行くしかないなと思って行った。大きなテーブルに、主にアジア系のアメリカ人が10人ぐらい座っていて、知らない人ばかりだったけど、僕は最近こういうシチュエーションに慣れつつあって、特に違和感もなく周りの人と楽しく会食していた。ただ、右隣に座っていた若い女の人は、なんだか英語がぎこちなくて、何なのこの人?っておもっていたら、実は日本人の女の子だった。招待してくれた人の娘の所にホームステイしているらしい。それから、日本語に切り替えてしばらく話してみると、大学2年生の19歳だという。

 アメリカ人ばかりのテーブルで、日本語を使って会話をするのは、非常に奇妙な感覚で。なぜなら、日本語に切り替えたとたん、他の人達が圧倒的な他者になってしまうし、見慣れたレストランの風景がまるで外国の物のように映り始めるからだ。なんだか、空港にあるトラベーター(動く床)から降りた瞬間の感覚に近い。風景は同じなのだけど、速度ががくっと変わってしまう。

 でも、日本にいると、10歳も年下の人と、全く対等な立場で会話をする機会ってあんまり巡ってこないだろうなと思った。僕としては、料理はとても美味しかったし、会話も楽しんだし、食中毒にもならなかったし、とても楽しい夜だった。




2006.03.04

Teriyaki Soba Noodle

teriyaki-soba-noodle.jpg

この間、China lakeっていう砂漠の真ん中にある街を通りかかったんだけど。その街に一軒だけある日本料理屋は、あふれんばかりにお客が入り、繁盛していて。でも、中をのぞいてみると、どう見てもチャイナドレスとしか思えない、衣装を着たウェートレスが、ものすごいメニューを見せてくれた。”照り焼き蕎麦ヌードル”って、一体どんな食べ物?このメニューに怯んでしまい、結局ここではご飯を食べなかった。

2006.02.14

Valentine's day

 アメリカのバレンタインデーは、基本的に男が花束とかを買って、妻や、彼女や、友達に贈る。バレンタインデーの感じとしては、日本のクリスマスに似ているなと、僕は思う。どちらかというと、家族と言うよりは夫婦や恋人の間で、すこしロマンチックな時間を持ちましょうって事だ。

 隣の席のアメリカ人の男の子に、「日本のバレンタインデーでは、女の人が男にチョコレートをくれるんだよ。」って話したら、俺はいま間違った国にいるよ。どうして、俺達はプレゼント贈らなくちゃいけないんだよ。っとブーブー文句を言っていたが、彼もちゃんと花を買って帰ったみたいだ。

2006.01.27

Lake Tahoe

 レーク・タホに、スノーボードに行っていた。僕はスポーツそのものとしては、走ったり泳いだりするみたいな地味なものが好きなのだけども。年に一回ぐらいなら、スノーボードみたいに派手なスポーツも楽しいなと思う。抜けるような青空の下で、雪まみれ、汗まみれの3日間だった。

2006.01.10

Munich

 知り合いの方が、5ドルになるクーポンがあるからと、僕を映画に誘ってくれた。そこで一緒に、"Munich (ミュンヘン)"という映画を見に行くことにした。

 行ってみると、これがすごい映画だった。1972年のミュンヘンオリンピックの際に、武装したパレスチナゲリラによってイスラエル選手団が襲撃され、その結果人質となったイスラエル人選手全員が殺害された事件と、その事件に対するイスラエル側のパレスチナ人暗殺による報復という、歴史的事実を元に映画は作製されている。

 イスラエル人である主人公は、ミュンヘンでの惨劇の報復のために、数々の暗殺を遂行していくのだが。その闘争は、徐々に彼と彼の仲間達の精神を蝕んでいく。血は、血をもってあがなわれるが。復讐は新たな復讐の芽しか生まない。

 多くのターゲットと、その周りの人達を殺害し、その過程で同時に自分たちの仲間も殺された後、主人公が「俺達のやっていることが何であれ、こんなものの果てに、平和などあるはずがない・・・。」と苦しむ姿が、とてもリアルで、痛かった。



2006.01.03

謹賀新年

 2006年の年明けは、とてもしんみりとしていた。友人夫婦の家に招待されて、アメリカ人3人、日本人3人で、こぢんまりとした年越しパーティをした。ソノマやナパでの洪水の話だとか、水パイプの吸い方とか、七面鳥の中に詰める具の作り方とか、僕的にはちょっと不思議な話題で年が越していったと思う。実はサンフランシスコでも、地上波で紅白歌合戦とか、行く年来る年とかを放映していて、そういう番組とかを見ながら年を越さないかと、別の方からお誘いを受けていたのだけど・・・。そういうのに未練は残るけど、郷に入りては郷に従えだな、きっと、と思うことにしている。

2005.12.28

Cross country ski

クリスマス休暇に、ヨセミテでクロスカントリー・スキーをした。楽しかったのだが、なにぶんクロスカントリー初体験だったもので、エッジのないクロスカントリー用のスキーでは止まることが出来なかった。止まらぬスキーを履いて、ダウンヒルを滑り降りるほど怖いものはなかった。

2005.12.04

自然



 圧倒的な競争社会の中で日々生活していると、ある瞬間にものすごく高圧なストレスが僕を捉えることがある。叩き切られたような痛烈な痛みを伴うし、触るとその傷口は温かい血でべっとりとしている。そんな思いをしても、ただ前だけを見て一歩一歩あゆんでゆくしかないのだけど。
 何が、何がそんな僕を助けているだろうとつらつらと考える事がある。もしかするとそれは、僕が自然の中で過ごした記憶なのかもしれないと最近思いついた。山や森や川の中で過ごした長い時間が、僕をぎりぎりの所でこちらの側に押しとどめているのではないかと感じている。

2005.11.26

Thanksgiving



サンクスギビングの休日だった。これは、アメリカでクリスマスの次に重要な休日で、家族で集まり七面鳥を食べる。でも、僕的には七面鳥はそんなに好きではない。

2005.11.16

San Francisco




 サンフランシスコは、自然と調和した美しい街で、日常の生活のなかで、はっとさせられるような風景にいつも出会う。仕事で追いつめられているときでも、そのような瞬間がふと僕を癒してしまう。そこにいるだけで幸せになれる場所というのが、もしかするとこの世界には存在しているのかもしれない。

2005.11.01

Halloween



ハロウィンの夜、仮装してカストロのストリートパーティに行った。30万人もの人が仮装姿でカストロに集まっていて、毎年のことながら、独特な雰囲気だった。

2005.10.02

偶然の音楽

  少し前に、Green Dayのコンサートを見に行った時の事だ。僕としてはどうしても"Good Riddance"という曲が聞きたいなと、コンサートのあいだ中、思い続けていた。その曲は割と有名なのだけど、最新アルバムの曲ではないので、もう演奏しないのかなと思っていたら、アンコールの後の最後の最後で、その曲を歌ってくれた。偶然の一致だったけど、とてもグッときた。

  実は同じ事が昨年のR.E.M.のコンサートの時にも起こっていて。僕はR.E.M.のコンサート中ずっと"What's the Frequencey, Kenneth?"という古い曲が聞きたいと思い続けていたら、彼等もコンサートの最後にこの曲を演奏してくれたのだ。もう二度も続けてこんな偶然が重なると、何かそこに意味があるのではないかと考え込んでしまった。



2005.09.08

Sequoia King Canyon National Park




 セコイア・キングキャニオン国立公園にキャンプに行っていた。セコイアの森の中を歩いていると、熊の親子に出会った。子熊が二頭もいた。こうやって書いてしまうと、なんとも漫画チックだけど、実際にはちょっと怖かった。母熊は立ち上がって、シーッってこっちを威嚇してくるしで。迫力満点のトレッキングだった。

2005.08.02

スタイル




 フランクフルト発サンフランシスコ行きの機内は、白人の人ばかりで。僕以外に誰もアジア人がいない飛行機に乗るというのは、幾分か奇妙なものだった。

 同じ白人でも、ヨーロッパ人はおばさんでも痩せていてスタイルがよいのに対し、アメリカ人は若いお姉さんでも太っているので、一目で区別が付いてしまう。こんな所にも、アメリカという病の根の深さがかいま見られて。

 今回の旅も、いろいろ思うことがあった。それは、また別の機会に書くことにする。とりあえずは、涼しいサンフランシスコに帰ってきて嬉しい。



2005.06.16

Pull Out

昨夜、友達の家から帰ってくる際、いきなりパトカーに止められた。普通に制限速度内で走っていたし、シートベルトもしていたし、お酒も全く飲んでいなかったので、最初パトカーが止めようとしているのが僕だとは気が付かなかった。でも、バックミラーをみると、青と白のライトが点滅していて、そのうちウォーンってサイレンを鳴らされて、右の車線に移動して停車しなさいといわれた。

かなりびっくりしたけど、逃げられるものではないので、言われたとおりに路肩に車を停めた。あまり、ここでジタバタすると、銃を取り出しているように思われてしまうので、もうあきらめてハンドルの上に両手を置いたまま、待つことにした。しばらくすると、ポリスの人が降りてきて、運転席の窓をコンコンと叩いて、窓を開けるように言った。運転免許書を見せると、ポリスはまた自分のパトカーに戻っていってしまった。たぶん、パトカーのコンピュータで僕の犯罪歴とかをしらべているのだろう。僕としては、一体僕がどういう間違いを犯したから、捕まったのか知りたかったんだけど、無闇にしゃべって不利になるのもいやだったので、聞かないでおいた。 

ポリスは戻ってくるなり、"What's going on here? (いったいどうなってんだい?)"と聞いた。それはこっちのセリフだよって思ったけど、喉まででた言葉を飲み込んで分からないとだけ答えた。彼は、僕がどうしてすぐに車を停めなかったのかと詰め寄ってきたが、僕は本当に僕が止められているのだと気が付かなかったからだと説明した。その後も押したり引いたりの、問答があったのだが、彼の話を総合すると、どうやら別のパトカーが逆車線をものすごいスピードで競いあって走っている2台の黒い車を見かけたらしいのだ。そして、たまたまこちらの車線を走っていた僕の車が黒かったという理由だけで、僕は止められてしまったみたいだった。

僕はついさっきまですぐそこにある友人の家にいたし、そのことは友人が証言できると説明したら、ポリスはもう行って良いよと言って事なきを得たのだが、かなりあせったし、たくさん冷や汗をかいてしまった。


2005.06.10

Yosemite

yosemite.jpg


 ヨセミテにキャンプに行っていた。ヨセミテの滝の水量は、ここ十年間で一番多かって、圧倒的であった。ヨセミテの滝の水は基本的に周囲の山々に降った雪が元なので、数ヶ月後には涸れて無くなってしまうのだ。キャンプ自体は、難しい所も辛い所もないすごくフラットなものだったけど、僕個人としては、いろいろと学ぶところがあったと思う。


2005.05.17

Tommaso's

 サンフランシスコのノースビーチにあるTommaso's っていうイタリア料理屋にピザを食べに行った。このお店はもともと日本人の方から教えていただいたんだけど、ピザを焼かせたらノースビーチで一番おいしいのではないかと思う。あのうんざりするほど生地の厚いアメリカンピザとちがって、薄くカリッとした生地の上に、新鮮なほうれん草とかをのせてサクッと焼いたピザは絶品です。是非、お試しあれ。

2005.05.12

エッグサンドイッチ

 ランチを食べながら、サンフランシスコクロニクルという新聞を読んでいた。ローカル版のページには、いつもの事ながら辟易とさせられる記事が並んでいて。朝の7時にバス停でバスを待っていた夫婦に、二人組の少年達がお酒を代わりに買ってくれと話しかけた。夫婦がその要求を拒否すると、少年達は怒って夫婦に襲いかかり、夫を金属の棒で殴った上でナイフで刺し殺し、妻にも怪我を負わせた。僕は、エッグサンドイッチを食べながら、その記事を読んでいたのだが、途中で食欲を失ってしまいそうになった。どうして、朝仕事に行くためにバスに乗る途中に、そんな圧倒的な暴力に巻き込まれないといけないのか。深夜2時のナイトクラブでの事件ならまだ分かる、でもそれはミルベリーの平和な朝の住宅街での話だ。
 一緒にランチを食べていた、アメリカ人の若い男にその話をすると、"Wow, they did it! cool! (おお、奴らホントにそんな事やったの、イカすぜ!)"とか言っていて。彼の反応の中にも、アメリカ社会を覆う暴力のその根の深さを見た気がして。そんな理不尽な暴力に簡単に屈するわけにはいかないので、エッグサンドイッチとカフェラテは残さずに食べた。

2005.05.05

Puffy

Puffyのライブを見に行った。僕的には特にPuffyに興味がある訳じゃないのだけれども。友人のクリスがどうしても一緒に行こうと僕を誘ったのだ。彼も来週にはミシガンに行ってしまうし、一緒に遊ぶのもこれで最後かもしれないと思ってライブにつきあっていくことにした。でも意外にも、結構面白かった。アニメの影響で、ちっちゃな子供達と、オタクなアメリカ人達と、わずかな日本人がライブに来ていた。すごいコンビネーションだった。

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