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2005.05.01

草の根のアメリカ

―San Francisco-
ロシアの文豪トルストイが書いた、アンナ・カレーニナという小説は、「幸せな家庭のありようはどこも似かよっているが、不幸な家庭のありようは実にさまざまである。」というフレーズから始まる。
僕は、個々人の資質による失陥をこえた、もっと大きな社会的あるいは民族的な失陥に遭遇したときには、いつもこのフレーズを思い出す。上手くいっている部分はどれも非常に似かよっているが、どうしようもない部分は実に様々な様態をとるのだと。

僕がアメリカで暮らし始めて、二年が経とうとしている。アメリカで長く生活している人であれば、誰もが経験することなのだが、この国ではじつに多種多様な不思議な目(あるいは酷い目)に遭う。フリーウェイの真ん中に、三人がけのソファーがデンと落ちていたり、ネットで買ったDVDが全然再生出来なくてクレームをつけても相手にされなかったり、中国人夫婦に事故車を売りつけられそうになったりと、今思い出せばどれも笑い話だけど、当時はそれなりに参ってしまうような出来事に僕も遭遇してきた。この二年間、僕も僕なりにアメリカという社会の病巣の、その恐ろしく深い根を垣間見てきたのだと思う。でも、僕にとって一番印象深かったのは、職場の引っ越しにまつわる出来事だったかもしれない。

しばらく前の事だが、UCSFがミッションベイに新しいキャンパスを作り、僕たちのラボはそちらに移動することになった。研究施設のラボというのは、一般の職場よりも実験機器などがあるために、移動するべき物資が多い。そのため、ラボの引っ越しというのは非常に大変である。それに加えて今回のUCSFの引っ越しは、基礎系の非常に多くのラボがこぞって新キャンパスに移動したため、引っ越しの完了までに全部で6ヶ月ぐらいかかる大規模なものであった。長い話し合いを続けて、移動する順番や、移動する先の場所を話し合って決めて、仕事に支障がでないように移動の順番をコーディネートして、と考えただけで憂鬱な作業が待っていた。もちろん、移動の費用の管理や移動の順番のコーディネートは専門の人達が担当し、我々末端の人間は、彼等の指示にしたがって物の移動の準備をするだけでよかった。しかも、移動の準備といっても、行き先を書き込んだシールをぺたぺたと機材に貼っていく位のものだったし、僕たちに割り振られた負担は本当に最小限のものであったと思う。ここら辺はアメリカのシステムの非常に優れた所だと、僕は非常に感銘をうけた。というのも、僕はこれまでに2回日本で同じようにラボ(研究室)の引っ越しをしたことがあるのだ。そのときは、引っ越し業者との交渉や引っ越しのコーディネート、果ては物資の運び出しに至るまで、学生だった僕たちに回ってきて、大変に理不尽な思いをしながら(なんで僕がこんな事をしないといけないのだろうと思いながら)、引っ越しをした記憶がある。それに比べると、今回の引っ越しなんてファーストクラスに乗って、ハワイまで往復するぐらいの労働でしかなかった。僕は心から、アメリカ社会が貫くこの徹底した合理主義を深く愛す。

でも実際に、いざ引っ越しをしてみると、日本とはひと味違うやりきれなさを味わう事になった。僕たちのラボの引っ越しの当日、僕は朝から出向いてごった返しているラボの中で引っ越しの仕事を始めた。ラボには、総勢50人は軽く越える引っ越し業者がひしめき、ひっきりなしに物を運び出したりして、そこははなはだ混沌とした状況であった。僕は自分のデスクの周りの物は、引っ越し業者のスタッフに梱包してくれと指示を出しておいて、自分は他の場所で業者には任せられない精密機器の梱包を行った。それでも引っ越し業者は手慣れた物で、昼前にはラボにあったおおかたの荷物は運び出されてしまい、今朝までフルに機能していたラボは、一瞬で廃墟の様になってしまった。さらに、次の日の朝には、梱包された荷物がミッションベイの新しいラボに下ろされ、山のように堆く積まれていた。僕たちはそれから丸二日かけて、梱包を解き、新しいラボに新しい秩序を与える作業に奮闘した。二日経ってラボの中が当初の混乱からある程度回復してきたころ、ラボのメンバーの一人が騒ぎ出した。「ラボのメインコンピュータがない!キーボードもディスプレーもあるのにコンピュータ本体がどこにもない。」最初僕たちはどこか別の段ボール箱に入っているのだと思って取り合わなかった。でも、すべての段ボールを開け終えてもコンピュータはどこにもなかった。デルの最新型の小型デスクトップは、ラボのデータをすべて飲み込んだまま引っ越しの混乱の中に消えてしまった。僕は、頭の中が白くなりそうだった。というのも、コンピュータは買い直せるが、そこに入っていたデータはお金では買えないからだ。幸い、僕個人は一週間ぐらい前にバックアップをとっておいたので、失ったデータは一週間分ぐらいに留まったが、それでも、だれがその一週間の労働を弁償してくれるというのだ。その怒りの中で僕はふと不安になった。なぜなら、ラボのメインコンピュータは僕のデスクの隣に置かれていたからだ。そこで、自分のデスクの荷物を注意深く見てみると、日本から持ってきたMOディスクドライブと、コンピュータソフトウェアの幾つかが消えて無くなっているではないか。泣きっ面に蜂とはこのことで、最新のデータは無くなるし、日本から持ってきたデータはディスクドライブが無くなって読めなくなるしで。当然燃えるように怒ったけど、もうそれ以上に僕は虚無感に捕らわれてしまって、“僕は一体こんな所で何をしているんだろう?”という問いが頭の中をぐるぐる回ってしまった。でも、冷静になって考えてみても僕のデスクの周りを梱包した、引っ越し業者がラボのコンピュータや僕のディスクドライブを盗って持っていったとしか考えられないのだ。でも、50人以上いた引っ越し業者の誰が僕のデスクの周りを梱包したかなんて、今となっては知りようがないし、覚えている訳もない。UCSFが公式に依頼した引っ越し業者が、その引っ越し過程で依頼主の物をくすめ盗っていくとは、僕の感覚でははなはだ信じがたい事だった。

結局、ラボのコンピュータはでてこなかった。うちのラボのボスが激怒して、同じコンピュータを引っ越し業者にすぐに弁償させた。でも、僕たちにとってはコンピュータよりもそこに入っていたデータの方が大事だったので、取り返しがつかないことにはかわりない。僕のMOディスクドライブはというと、まだ交渉をしている所だ。もう、怒りと呼べる物は湧いてこない。不思議と静かだ。ただ、つらつらと考えるのは、このような草の根の部分でのモラルの低さ、“人の物を盗ってはいけない”という社会活動をする上で前提となる常識が共有されていないという危うさは、アメリカ社会にとっては大きなコストになるのだろうと言うことだ。見ず知らずの他人を決して信用しない、というのはアメリカ社会で生きる人達には常識なのだけれども、そのような疑心暗鬼が拡大すると、社会に対する不安が増加し、アメリカのアキレス腱になってしまうのではないかと思っている。



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Posted at 10:57 | エッセイ | COM(0) | TB(0) |
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