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2006.09.21

カラマーゾフな日々

 ドフトエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」という小説は、これまでに僕が読んだことのある小説の中では、もっともスケールの大きな小説であると思う。

 高校生の頃から、何度か「カラマーゾフの兄弟」は読み返してきたが、この小説には無駄な箇所は一つもないのと同時に、如何せん天国的に冗長な読み物であるために、精神がある種のすり減り方をしているときにしか読み返せない。

 数ヶ月前まで、しばらく僕にとってのカラマーゾフな日々が続いていた。カラマーゾフな日々とは、つらい出来事が続き、神経の芯と言うべき部分が疲労していて、読み返した「カラマーゾフの兄弟」の一文一文が体に染みこむように理解できる精神状態にあったことだ。疲弊し弱り切っていた僕は、毎晩本を読み返しながら、どうしてこのろくでもない兄弟のろくでもない営みを丹念に描いた物語が、全体としてはこんなに美しいのだろうと考えながら、自分自身のバランスをなんとか保っていた。

 そして、8月の始め、「カラマーゾフの兄弟」は最終局面を迎え、誤審に終わるミーチャの裁判が、検察側の弁論によりその最高潮な局面に達していたころ、僕は三夜連続して、全く同じ夢にうなされて目が覚めることになった。その夢というのが、汚い話なのだが、見渡す限り一面の大便の中で溺れる夢だった。カラマーゾフの兄弟とその汚い夢との間にどういう因果関係があるのか、その時は分からなかった。

 ただ、個人的に占いとかをあまり信じない僕も、3日間全く同じ夢でうなされて目覚めると、さすがにその夢が示唆する深層心理が気になった。そんなとても汚い夢を見て、何かとても悪い暗示があるのでは無いかと、心配になってしまったのだ。そこで、夢占いや、夢と深層心理の関係を解説してある、ウェブサイトを丹念に調べてまわった。すると、すべての占いでその汚い夢は幸運をもたらすであろうとあった。

 驚いたことに、実際にその夢の前後から事態が上手く行き始めた。舞台が明転するかのように、それまでの苦しみがウソのようにスムーズにいろんな事が進行し始めた。今もまだ、その幸運の力は僕に影響を与え、僕の周りではカチッと音がするように歯車が絡み合いながら物事が進行している。あなどりがたい、夢の力だ。

 ただ、冷静になって考えてみると、カラマーゾフの兄弟を読んでいた最中は、僕は鬱な精神状態にあったのかもしれない。そういうときは、何をやっても楽しくはなく、やることなすこと裏目に出てしまう。たぶん、その夢を見た前後に精神の健康が回復してきたのではないかと思う。「カラマーゾフの兄弟」を読み直したことが精神の快復を助けたのかどうかは分からないが、もしそうであるならばドフトエフスキーに感謝しなけらばならない。
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初めまして。

もうかなり前になりますが、カート・コベインの記事を此方で見付けて以来、時々眺めさせてもらっていました。

ドストエフスキーですか。良いですね。

私も最近、トルストイの『人生論』を読み返していたところです。

あまり役には立ちませんでしたが。


また遊びに来ます。ではでは。

Posted by 銀蔵 at 2006.10.04 21:27 | 編集
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